もどってきた千住大橋
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夏艸や 兵共が 夢の跡
(なつくさや つわものどもが ゆめのあと)
「つわものども」とはもちろん義経(よしつね)とその家来たちのこと。
兄の頼朝(よりとも)に追われ、平泉まで逃げてきましたが、頼りにした藤原氏の泰衡(やすひら)に裏切られ、ついに高館(たかだち)で討ち死にします。
功名を夢見た奮戦の跡も夏草に蔽われています。
芭蕉さんが訪れる500年も前のことでした。
芭蕉さんの感慨はともかく、ここでは絵本の主人公たちに、
つわものどもの代役をしてもらうことにしました。
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松島や ああ松島や 松島や
(まつしまや ああまつしまや まつしまや)
あまりにも絶景なので言葉が出てこない。
それで、「松島や~」と繰り返しただけの句、として有名です。
実はこの句、後世の狂歌師田原坊の作で、芭蕉さんの句ではないそうです。
でも、あまりに絶景なので、句が思い浮かばなかったのはほんとらしくて、
『奥の細道』に残っているのは、同行した弟子の曾良の句だけでした。
「松島や 鶴に身をかれ ほととぎす」
(松島湾の上を渡るときには、絶景にふさわしい鶴の姿を借りて渡りなさい・・・・・・)
鶴の祖先、プテラノドンみたいですけど。
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あやめ草 足に結ん 草鞋の緒
(あやめぐさ あしにむすばん わらじのお)
江戸を発って36日目、やっと伊達家、仙台に到着です。
昔はどこにでも俳人として知られる風流人がいたようです。
仙台で知り合ったのが、版木彫刻を生業とする北野屋加右衛門(かえもん)という人。
当地の由緒ある場所をいろいろ案内してもらって、選別に草履までもらいました。
紺の染緒は菖蒲の色。邪気を払うので、これからの旅路の無事を祈ります。
季節は旧暦の端午の節句でした。
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笠島は いづこ五月の ぬかり道
(かさしまは いづこさつきの ぬかりみち)
もうすぐ仙台。
芭蕉さんに代わって、子どものCGミニ芭蕉の登場です。
芭蕉さんは藤原実方朝臣(ふじわらのさねかたあそん)の塚を訪ね訪ねたかったのです。
それで、五月雨の中、ぬかるんだ道を探し回ったみたいですね。
たいしたものは見つからなかったそうで、くたびれもうけ。
笠島ですから笠だけは昔風にしてみました。
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桜より 松は二木を 三月越し
(さくらより まつはふたきを みつきごし)
岩沼市はその昔、「武隈」と呼ばれたことから、この松は「武隈の松」の名で親しまれ、
多くの歌が詠まれてきました。
根際からふた方向に分かれているので、「二木の松」とも言われています。
実際の松は写真などで見るとけっこうヒョロヒョロなのですが、芭蕉さんの見たころを想像して植え替えてみました。元禄期でもすでに5代目の松。現在は8代目だそうです。
江戸を発って3ヶ月。待っていてくれたのは桜ではなく松だった、と言っているのですが、
「三月越し」を松越しに見える三日月にしてみました。
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笈も太刀も 五月にかざれ 帋幟
(おいもたちも さつきにかざれ かみのぼり)
福島の医王寺は源義経(よしつね)の家来だった佐藤継信(つぐのぶ)・忠信(ただのぶ)兄弟の菩提寺です。
二人は義経のために戦で死んでいます。嘆き悲しむ母を二人の奥さんが甲冑を身にまとって慰めたとか・・・
芭蕉さんは義経の大ファン。
そんな昔を偲びながら、ハラハラと涙を流したそうです。
寺には宝物殿があって、義経の太刀と弁慶の笈(今で言うリュックサック)が収められているそうです。
端午の節句も近く、あちこちに紙幟(こいのぼり?)も翻っている様子。
芭蕉さんもハイになって、太刀も笈もいっしょに飾ってしまえと思ったのでしょう。
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早苗とる 手もとやむかし しのぶ摺
(さなえとる てもとやむかし しのぶずり)
「しのぶもじずり」とは、乱れた模様の石に布を置き、上から忍ぶ草など葉や茎の色素を摺(す)りつけた染め方。
その昔、嵯峨天皇の皇子、源融(みなもとのとおる)が陸奥出張のおり、滞在した家の娘とラブラブになったのですが、都に戻らなくてはならなくなった。
娘はこの文知摺石(もじずりいし)を麦草で磨き、ついに融の面影を鏡のように石に映し出すことができたそうです。
結局二人は二度と会えなかったのですが、融ももぢずりのように心を乱された心境を歌に残しています。
みちのくの しのぶもぢずり 誰ゆゑに 乱れそめにし われならなくに
百人一首で有名ですね。
芭蕉さんが訪れたころはもぢずりはすでに途絶えていたそうで、早苗をとる早乙女たちの手つきに、もぢずりの摺り手を偲んだのでしょう。
この石、昔は山の上にあったそうですが、石に摺りつけるため、麦畑の麦を取っていく不心得ものが多かったせいで、村人たちに谷へ突き落とされたそうです。
「恋しい人の顔さ浮かぶかどーか知らんけど、麦っこの方がだいじだべ」(村人?)
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世の人の 見付ぬ花や 軒の栗
(よのひとの みつけぬはなや のきのくり)
確かに栗の花って目に留まりにくいのです。西の木と書いて西方浄土にちなむとか・・・
画像には二本の栗の木を配置してありますが、
白い栗の花がおわかりいただけるでしょうか?
目立たない栗の花のように、ひっそりと隠れ住んでいる庵の主人への
ゆかしい気持ちを句に込めています。
この人、芭蕉さんが須賀川で俳句仲間の等躬邸に滞在したおり、
その裏に住んでいた僧で、可伸(かしん)といいます。
芭蕉さんのこの句で可伸も栗の木も一躍有名になってしまったとか・・・
皮肉な句でしたね。
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風流の 初やおくの 田植うた
(ふうりゅうの はじめやおくの たうえうた)
さあ、やっとこれから陸奥、その入り口、白河の関です。
でもこの時代、関所跡がどこにあるのか、といった程度・・・
もうその歴史的役割は終わっていたようです。
田植え歌を聞いて、やっと風流という言葉が出てきたくらい、
旅になじんできたみたいですよ、芭蕉さん。
田植え歌、聞いてみたいですね。
コンナ ウタカナ・・・?
♪ことしいねがなし ♪しし玉のみなり♪ ヤリガエー♪
♪ ハレ 吾嫁なる加那に ♪ま米たかさ ウレ♪
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田一枚 植て立去 柳かな
(たいちまい うえてたちさる やなぎかな)
乙女たちが田植えをしているのを、柳の木の下で見ています。
一枚の田んぼが植え終わったところで立ち去ったと言っているわけです。
問題はこの柳。
現在も芦野の中心から10分ほどの田んぼの真ん中にある柳。
芭蕉さんの時代でも「遊行柳」として有名な柳だったみたいですよ。
「遊行柳」は室町後期の観世信光が創作した謡曲のタイトル。
筋立ては、遊行上人(一遍上人)の前に柳の精が現れて、
その昔、西行の歌に出てくる柳の木の下で昔話を語ったり
舞を見せてくれたりするもの。
西行は平安時代末の漂泊の歌人。その歌は
「道のべに清水流るゝ柳かげしばしとてこそ立ちどまりつれ」
芭蕉さんはとにかくこの西行を崇敬していたみたいで、
この旅に出たのだって、西行にそうとう影響されていたからみたいです。
だから田植えを見ながら、ここは昔、西行法師も立ち止まったゆかりの柳なんだなあ・・・
と、感慨を胸にめぐらせているのでしょうね。
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野をよこに 馬挽むけよ 郭公
(のをよこに うまひきむけよ ほととぎす)
那須湯本はもちろん昔からの温泉地。
現在もある「殺生石」を訪れて、
「温泉の出る山陰にあって、石の毒気いまだほろびず。チョウやハチが下の砂が見えなくなるほど、重なって死んでいる」
と記しています。
その帰り、館代より馬で送ってもらったわけです。
館代とは黒羽藩の留守居役。芭蕉さんの弟子でした。
だから師匠のために、運転手さん付きの社用車を手配して、お送りしたということなのでしょう。
その運転手さんが芭蕉さんに一句お願いしますとせがんだわけです。
それがこの句。
「野を横切ってほととぎすが飛び去った。馬の首をそっちにむけろ!」
といっているのですが、那須野を行くうちに昔の合戦の演習気分にでもなったのでしょうか?
そういえば、なんとなく西部劇風でもあります。
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木啄も 庵はやぶらず 夏木立
(きつつきも いおはやぶらず なつこだち)
「なんだ、 このバリヤーは!」
きつつきが叫びをあげました。
とてもくちばしが突き刺さらない庵のようです。
オーラのようなバリヤー・・・
庵の中で禅の修行をしているのはターミネーター。そう見えてしまいます。
実は仏頂禅師。鹿島根本寺(茨城県)の二十一世住職です。
芭蕉さんが深川にいたころ、江戸に仮住まいをしていた仏頂禅師と運命的な出会いをして、川向うの臨川庵に参禅する日々を送ったそうです。
その敬愛する師が修行したと話していたのがこの臨済宗妙心寺派の雲巌寺。
今でも、「この寺は観光の場ではなく、信仰と修行の場である」って書いてあるそうですよ。
お釈迦様の頭上(仏の頂)に宿るのが仏頂尊・・・
知恵に優れ威厳に満ちているけど無愛想で不機嫌な顔をしているそうです。
だから仏頂面(ぶっちょうづら)って言うんですね。
この仏頂禅師も怖い顔をしていたんですかね?
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夏山に 足駄をおがむ 首途哉
(なつやまに あしだをおがむ かどでかな)
トム・ハンクス主演のフォレストガンプという映画があります。
彼はある日、急に走りたくなってどんどん走っていきます。アメリカ大陸の太平洋岸から大西洋岸まで走って、また戻ってきます。それを何回か繰り返しているうちに、一緒に走る信奉者が増えていくのです。そこに何か宗教的なものが感じられたのでしょうか?
日本にも1300年以上昔、飛鳥時代、大化の改新のころ、そんな人がいたみたいです。
役の行者といわれる役小角(えんのおずぬ)という人。
小さな虫を踏むこともなく、道の修理もせず、生命とそれを育む自然を大切にした山登り大好き人間。
やはり信奉者が出てきて、山岳信仰が育まれていきます。
中高年の登山がさかんですが、人間、齢を重ねるとともに、自然の息吹に触れたくなるのはわかるような気がします。
今でも修験道の開祖といわれ、この役の行者を祭るお寺は全国各地に存在します。
芭蕉さんが訪れた黒羽の行者堂があった修験光明寺は今はもうないそうです。
これから行く奥州の山々を思って、行者さんの健脚にあやかりたいと、その足駄(げたのことでしょう)を拝んでいるところです。
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あらたうと 青葉若葉の日の光
(あらとうと あおばわかばの ひのひかり)
日光の東照宮まで来た芭蕉さん。燦燦と日の光がふりそそぐ新緑の中で、徳川様がとても尊く感じられたようです。
素直すぎる句。本心でしょうか?
芭蕉スパイ説もあるのです。
もしかしたら世を忍ぶ、上べだけの感慨だったりして・・・
なんて、考えすぎですかね。
でも画像は、陽明門を照らす日の光の中に徳川様が重々しく浮かび上がるのです。
芭蕉さんは感激しています。
この芭蕉さん。つくってみたら意外と若くなってしまって・・・
いずれお顔はお見せいたします。
ヨンさま系・・・
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其日漸草加と云宿にたどり着にけり。
(そのひ ようよう そうかというしゅくに たどりつきにけり)
江戸を発った芭蕉さんと曾良、ようやく埼玉の草加まで着ました。
でも草加では泊まらず、通り過ぎただけだったそうです。
句もなさそうなのですが、現在の草加市、旧日光街道には芭蕉さんの銅像がありました。
ここは自宅から近いので、出かけて写真を撮ってきました。
松並木の街道はよく整備されていて、日本百名道のひとつになっています。
銅像の芭蕉さんを歩かせてみました。
するとうちの息子がスケートボードでいきなり芭蕉さんを追い抜いたのです。
びっくりした芭蕉さん。そのときのスナップショットです。
1689年のこの日、芭蕉さんは春日部まで行って宿をとっています。
季節は春の終わり。
でも写真は1月。松がワラを巻いていますからね。
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